「場面緘動(ばめんかんどう)」という言葉をご存じですか?
ひょっとしたら、「場面緘黙(ばめんかんもく)」という言葉は耳にしたことがあるかもしれないですね。
場面緘黙(ばめんかんもく)とは
場面緘黙は、社交不安障害(SAD)(※1)などの一環として現れる症状の一つで、特定の状況や場面で話すことができなくなる一種の精神障害です。
言葉を発することやコミュニケーションを取ることが難しくなり、特に公の場や人前での話すことが困難となります。
この症状が強くなると、学校や職場、社会活動などで日常生活に支障をきたします。
よくあるケースとしては、「家族とは家の中で問題なく話せるが、家族以外の人とは学校や職場で話すことが難しくなる」という状態が挙げられます。
生活場面すべてにおいて話すことができない状態は「全緘黙」とされますが、場面緘黙の場合はどの場所でも話すことができないわけではありません。
場面緘黙の場合、全く話せないわけではないため、「意図的に話さない」と誤解されることがあります。
しかし、自分から話す場面を他人に見られるか聞かれることに対して強い不安や恐怖を感じることから、自分の意志で話さないことを選ぶわけではなく、自分が話したい、意見を述べたい、話さないといけないと思っていても、その状態では話すことができない疾患なのです。
場面緘黙は、ほとんどの場合子ども時代に始まるようです。
幼稚園や学校への入学やクラス替えなど、環境の変化やいじめを受けたことによって急激に不安が高まり、症状が現れることもあるようです。
管理者も幼稚園の入園の2か月前に場面緘黙を経験しました。
ママによると、突然ひそひそと話すようになったようです。
そのうちプレスクールの先生から様子がおかしいと聞き様子を見ていましたが、外でまったく話をしなくなったそうです。
話どころかためいきなどの感嘆詞の発生も難しかったようです。
その当時聞いたり調べたりした対策としては、本人が声を発したときに、「すごい」「頑張ったね」などほめずに日常的な対応をすることが改善へのきっかけになるそうです。
社交不安障害(Social Anxiety Disorder、SAD)とは ※1
社交不安障害(Social Anxiety Disorder、SAD)は、一般的に社交不安症とも呼ばれ、社交的な状況で過度な不安や恐れを経験する精神的な障害です。
この障害を持つ人は、社交的な場面や他人との対人関係を激しく恐れ、回避する傾向があります。
場面緘動(ばめんかんどう)とは
「場面緘動」という言葉は、一般的な精神障害の分類には含まれず、用語として存在しないようです。
緘動は動くことができなくなる症状です。
担当医によると、強迫症の一種のようです。
しばしば緘黙の症状に伴って出現することがあるようです。
この症状は緘黙どころのつらさではありません。
緘黙ならば、筆談や身振り手振りで伝えることもできますが、緘動になると動くことができない症状のためつらさが尋常ではありません。
管理者は、中学校2年生のときから今に至るまで場面緘動という症状に悩まされています。
この「場面緘動」という言葉を初めて知ったのは、当時通っていたフリースクールの先生からママが聞いたそうです。
「場面緘動」という言葉を聞いて、ネットで調べてみましたが知識を得られる情報サイトなどはありませんでした。
メンタルクリニックの先生に聞いても首をかしげられました。
ネット検索ではたったひとつのブログにたどり着くことができ、そのブログでは「場面緘動」の壮絶な体験が書かれていて、私の体験にほぼぴったり合うことにとても驚きました。
ただこのブログ以外は目にしたことがありません。
管理者は過去に場面緘黙を経験していますが、中学校2年生のときから発症している「場面緘動」では緘黙は伴わず話は少しできます。
ただ満足には話すことができないため。動けない、話せないというつらい状態で、学校から帰宅したときはぐったりしています。
管理者の症状は
・下駄箱でくつをはくことができない
・歩くときはなめくじのように遅く歩くしかできない
・字が書けない
・給食やお弁当を食べることができない
・水が飲めない
・教科書が出せない
など人が見ている(見ているかもしれない)場では「動く」ということが何もできません。
全く人がいない場でも、誰かが見ているかもしれないという恐怖でなかなか動くことができない状態です。