ガラスをわってしまった

私はおろかな人間だ。

私はガラスを割った上に反省もできないなんて本当に最低です。

結局、怒られたくない、自分は悪くないという自分勝手な思いが先走ってしまいます。

ではなぜそうなってしまうのでしょうか。

割ったこと自体は悲しいことだ。

でも自分は気づかなかったのだ。

もちろん、それでママがけがしたこと、ママの時間を奪ってしまったこと、不快な気持ちにさせてしまったことは申し訳ない。

なぜかなみだがこみあげてくる。

でも自分の中で納得がいかないことだってある。

例えば、Aさんはおっちょこちょいで、いつも食器やガラスを割って怒られていました。

Aさんは、自分がダメな人間だと思うようになりました。

自分では気を付けているのに、なぜ同じことをしてしまうのだろう。

そのうちAさんは、おそるおそる生活をするようになりました。

もう怒られたくない。

自分はダメだと思いたくない。

ところが、またしても割ってしまいました。

でもそのとき誰も見ていなかったので、もしかしたら怒られなくて済むかもしれない。

そう思ったAさんは、黙っていることにしました。

ところが結局ばれて怒られるAさん。

でも今回は、Bさんがとても落ちやすいところに陶器を置いていて、誰がそこを通っても落ちてしまうリスクが高い状況だったのです。

これ以上責められたくなかったAさんは、

「私が悪かったよ。でも、Bさんが落ちやすいところにおいていて、そこを通ったら割れただけだよ。」

それを聞いた人は、ひとのせいにするなんてひどいといいました。

それでも受け入れられなかったAさんは、部屋にこもってつぶやきました。

「なんで私のせいにするの?私は悪くない。」

このように、人は自分に自信がないと、ダメな人間だと思ってしまうと、

これ以上責められたくなく、「だから悪かったって言ってんじゃん」となり、

自分は悪くないということを第一に主張するようになってしまうのです。

私は今このような状況です。

なので「ママが置いておいたから仕方ないじゃん。わざとじゃないもん」

となってしまったのです。

もう、自分が責められることを受け付けなくなってしまうのです。

つまり、「道徳的感情や倫理観<承認欲求=私は悪くない」というような感じです。

前におばあちゃんのことをかきましたが、おばあちゃんもこのような感じだと思います。

わからないから断定はできませんが。

似たような経験があります。

あまり書きたくないのですが、もう自分から逃げない、人のせいにしないために正直に書きます。

これは社会の授業の話です。

資料の束がなくなったと騒ぐ教室。

ふと引き出しを見ると自分が持っていました。

やばい、でも今言ったら怒られる。

周りから軽蔑される。

いわなかったらばれないんだ。

そう思った私は言いませんでした。

そして帰るとき、そっと教卓の上において帰ったのです。

本当に最低だと思います。

でも、そのとき自己嫌悪に陥っていて、クラスからも孤立していた私はそうしたかった。

これ以上嫌われたくなかった。

だってもしあそこで言ったら、怒られて陰口をたたかれるから。

大人は、「正直にいえばみんなきっと許してくれるよ。」という人もいるでしょう。

でもそれはきれいごとです。

そりゃ許してはくれるでしょう。

でも子供の世界というのは、いくら純粋だからといって、必ずしも、まともで、良心のもとで成り立っているとは限らないのです。

陰で先生の悪口を言ったり、理不尽な理由で人を嫌ったりします。

大人が思っているほど、子供の世界は単純なものとは限りません。

だから都合よく解釈しないでください。

話はそれますが、前にテレビだやっていた話です。

その子供は毎日のように盗みを犯していました。

友達のものを盗んでしまうのです。

その親は子供を怒り、とうとう警察に連れて行き、逮捕してください、というのです。

すると、理由は意外なものでした。

その子は母子家庭でした。

そしてある子に言われました。

「マジでパパ嫌い。だから〇〇ちゃんはパパいなくてうらやましい。」

それを聞いた子供は、悲しくなり、盗みを犯してしまったそうです。

それを聞いた親は涙を流しました。

先ほど、子供の世界は、まともじゃないみたいなことを書きましたが、での、そのまともじゃない言動の裏には必ず背景があります。

子どもは未熟ですが、だからといって、子供の言っていることは消してちぐはぐではありません。

それがたとえ論理的な主張でなくても、それまでに子供が感じたこと自体を否定して引けません。

私は昔、先生に、「私はみんなから嫌われていると思う。」といったことがあります。

すると先生方は、「そんなことないよ、○○さん(私)のことをみんな心配しているよ。」

と言ってくれましたが、何かもやもやしてしまいました。

私がそう感じたというのはれっきとした事実であり、それは私が適当にそう思ったのではなく、過去の出来事、周りの空気感、噂など、背景にあるものがちゃんとあり、そう感じてしまったのです。

でも、一言でそんなことないよと言われてしまうと、まるで私の感じたことが嘘だとでも言われているような感じがしてしまうのです。子供である私の意見を相手にされていない感じがしてしまいます。

被害妄想だとも思っているのでしょうか?

どうせ何言ってもそんなことないとか、大人の凝り固まった主観だけで、解決されてしまうのでもう悩みを言っても無駄だと思ってしまうのです。

ママにも同じようなことをされたことがあります。

私が、○○に悪く思われていると思う。

とかいうと、そんなことない。と言ってきます。

何も知らないくせにわかった気になって、それは被害妄想だよって。

何回も、被害妄想という言葉を聞きました。

私の学校に行ってその光景を見たんですか?

だからママには、学校のことも、悩みも話せないのです。

だって言ったところで、そんなことない、と言われて相手にもされませんから。

だからと言ってじゃあどうしてほしいかと聞かれると、答えはわかりません。

これだと一方的な主張になってしまいますね。

私が客観的に考えられているか、私の主張が論理的か、矛盾してないかは私もわかりません。

ただ少なくとも、私がこのような大人の対応によって傷ついたという事実は、本物です。

私は大人になるまでに、子供の気持ちを大切にできる人になりたいです。

私  「周りから嫌われていると思います」
先生 「そんなことないよ。みんな心配してくれているよ」
私  「そうですか。でも、周りから孤立している気がするのですが、」
先生 「そんなことないよ、気のせいだと思うよ。」
私  「き・・・気のせい・・・」


私  「周りから嫌われていると思います。」
理想 「そうか・・・私は気づかなかった。でもそう感じたってことは、君なりにそう感じてしまう理由があるんだよね。」
私  「はい、いろいろと・・・」
理想 「そうか、それはつらいね。じゃあ、どうしたらそう感じなくなるのかな。」
私  「友達ができて、自分に自信が持てるようになればいいと思います。」
理想 「なるほどね。じゃあそうなるためにはどうしたらいいと思う?」
私  「まず、自分の苦手なことをみんなに伝えて理解してもらうことで、誤解を防げるから、みんなともっと関わりやすくなると思います。」
理想 「おお、確かに。じゃあ苦手なことをここに書いてみようか。」


子供のしていること、または言動には必ず背景があります。

大人が理解できないことでも、必ず、子供なりのまともな理由があるのです。

大人から見ては大したことがないと思えることでも、子供の小さな心にとっては、とても重要なことだってたくさんあると思います。

だから、子供が理解できない言動をしたときに、こいつはダメだと決めつけて、怒ってしまう。

なぜそのようなことをしたかなんて、どういう葛藤を抱えているかなんて、聞く価値がないと思って、子供の気持ちなんて相手にもしない。

そのような親を見ているとイライラしてしまいます。

子供は、大人が思っているほど、軽く、ふわふわした生き物ではありません。

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