「人間社会」というゲーム

才能、学歴、顔。

常にランク付けされる世の中で、自分を維持するのは大変だ。

誰かを蹴落としたり、人に合わせたり、どうにか自分が浮かないように、もがく人もいるだろう。

でも動物から見たら、人間はどう映っているだろう。

その人が歌がうまかろうが、顔がよかろうが、頭がよかろうが、動物にとってはどうでもいいのかもしれない。

ただ一人の人間として見ているのかもしれない。

ペンギンの群れを見た時、一羽一羽の区別はつくだろうか。

猿山を見た時、このサルはいい、このサルは悪いと比較したりするだろうか。

たとえ好みはあったとしても、ひとくくりに「サル」としか見ていないのではないか。

もちろんサルの世界にも上下はある。

でも、人間にとってはそんなのどうでもよい。

ただ、そこにサルとして存在してくれればよいのだ。

もともと、歌という概念も、スポーツという概念も、人間が生み出したものである。

だから、判断される基準はごく一部で、偏りがある審査である。

そこに当てはまらなかった人間は特別ではないのか?

人間にとって、学歴や才能は重要で、それで人生が決まるような気がするけど、本来人間は、生物は、客観的に見たら大きな区別がつかないものである。

それを、人間社会という鳥籠の中では重要視するのだ。

でも、本来生物は、ただそこに存在していればよいものだ。

あくまでも、人間の主観では重要なことでも、一歩鳥籠の外に出たら、そんなに重要ではないのかもしれない。

生物個々が持つ特徴の中から、たまたま、人間独自が生み出した「特別リスト」というものに当てはめているだけだ。

一種の運試しだと思えばいい。

私という生物を、「人間社会」に当てはめたら、どのようなポジションになるのか、どのような効果を生み出すのか。

ゲーム感覚で楽しめればよい。

私は、「人間社会」というゲームで、どのようなポジションにつくのか。

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